「時間をかけてネタを育てる」という考え方
「ネタの使い捨て」というと言い過ぎかもしれませんが,最近の傾向はこれに近いものがあると思います。
同じネタでも,アドリブを入れることによって毎回様々な形に変化します。演じる漫才師が成長するとき,そのネタはさらに成長します。「一生」という時間をかけて,そのネタを育ててゆこうという考え方が主流にならないものかと思っています。
もちろん,あえて「使い捨てのようなネタ」をやるというのも,別に悪いことだとは思いません。しかし,「ネタとは使い捨てるものだ」という考えが浸透してしまうなら,漫才の未来に悪影響が及びます。「一生」をかけるつもりで作るネタと,「使い捨てる」つもりで作るネタとでは,当然違いが生じます。「漫才」は一生をかけるに値するものだと思います。漫才に限界はないからです。
問題は,「自分の考え方の限界」という壁をいかにして乗り越え成長を続けてゆくのか,というところにあるのではないでしょうか。