「立川志の輔」と「柳家喬太郎」
「志の輔さんが好きな人は喬太郎さんも好き」「喬太郎さんが好きな人は志の輔さんも好き」というような話をよく聞きますが,わたしの場合はちょっと違います。
お二人が度々並べて紹介される理由はよく分かりますし,似た印象を持つ方がいるのも分かります。でもわたしは,志の輔さんの落語は大好きですが,喬太郎さんの落語は苦手な部類に入ります。
ちなみにこれは,あくまでもわたしの「好み」の話であって,「うまいとかうまくないとか」「おもしろいとかおもしろくないとか」,そういう話ではありません。
お二人とも積極的に新作落語をされていて,「どこにでもいそうな人を演じている」という意味では似ていると思います。では,どこが違うのか?
志の輔さんは,「どこにでもいそうな人」をほんの少しおもしろおかしく表現することで,「笑い」と「リアリティ」と「まじめさ」が共存する落語になっていると思います。
喬太郎さんは,「どこにでもいそうな人」のおもしろい部分をかなり誇張することで,「爆発的な笑い」を生み出しているように思います。その分,「リアリティ」と「まじめさ」が少なく「ギャグ」が多いというかんじがして,わたしは苦手です。
「どちらがおもしろいか」を比べるのはまったく意味のないことだと思います。ただ「どちらが好きか」「どちらが好みか」というだけの話だと思います。「笑い」はかなり好みが関係しているので,「おもしろくない」と言える立場の人はいないのではないでしょうか?わたしは,志の輔さんの「笑い」と「リアリティ」と「まじめさ」のバランスが大好き,自分の好みにピッタリ合っている,そう感じています。
落語だけでなく漫才やコントもそうですが,自分の好みに合った「笑い」と出会えたなら,それは幸せなことだと思います。