漫才よりもコントの方が「オチ」がしっかりしていることが多い理由
少なくとも最近は,漫才よりもコントの方が「オチ」がしっかりしていることが多いように思います。
その理由はなぜか?
それは,「漫才」にはあって「コント」にはないものが関係しているように思います。
それは,「いいかんげんにしろ」「もうええわ」などの最後の言葉です。漫才にはこれがあるので,極端な話,全く「オチ」がなくてもこの言葉さえ言えば終われます。
コントの場合は,暗転(舞台が暗くなる)ことで終わりを知らせることが多くなっていますが,必ずしもこれができる環境が整っているわけではありません。暗転が使えないとなると,しっかりとした「オチ」をつけて終わりを知らせる必要が生じます。そういう事情もあって,コントの方が「オチ」がしっかりしているそんな傾向があるように思います。「暗転」がもっと普及すると,それに比例して,コントの「オチ」も弱くなるかもしれません。
コントも漫才も「オチのしっかりしたものを見たい!」,わたしはそう思っています。
「オチ」が弱いと,ただおもしろい漫才
「オチ」が強いと,おもしろくて感動する漫才
こういう違いが出てくると思うのですが…