古典漫才・カバー漫才
落語の世界には「古典落語」があり,音楽の世界には「カバー曲」があります。
なぜ漫才の世界にはないのでしょうか…
それには,ネタの完成度の問題があると思います。これは,「笑える」という意味での完成度のことではありません。「作品(話)」として完成度のことです。「いかに笑いを取るか」に重きを置きすぎていて,この点があまり重視されていないように思います。
作品としての完成度が高い「名作」と呼ばれる漫才が増えることを望みます。「名作」であれば,カバーすることができます。古典落語や曲のカバーの例からもわかるように,繰り返しカバーすることによって,大抵,作品の価値は上がります。そしてそれは,漫才そのものの価値をも高めることになるのではないかと思います。
「後世に語り継がれる名作を作ってみせる!」という意気込みで,新ネタを作ろうと思います。