「漫才ライブで飯を食う方法」を探し続けている漫才師
売れると漫才をしなくなる漫才師
それならもはや「漫才師」ではないのかもしれませんし,そもそも「漫才師だったのか?」とさえ思ってしまうこともあります。
ではもし,売れているのに漫才ライブで飯を食う方法を模索している漫才師がいるとすれば…?
「漫才ライブで飯を食う方法」という記事を書いた漫才師がいます。
情けない話,僕は自分たちの漫才ライブだけでは飯を食えてはおらず,むしろ赤字を作ってしまう始末。……結局,漫才ライブは他の仕事で収支を補っております。デビューの頃からずっと漫才ライブを続けておりますが,コンビの好不調の波関係なく,漫才ライブで飯を食えた時期などありません。
と述べています。
「キングコングでさえもそうなか」と思うと,漫才師を目指そうと思っている若者はがっかりしてしまうかもしれません。このような現状では,「漫才師になりたい」というより「売れたい」「テレビに出たい」と思う人が増えてしまうのは当然のことなのでしょう。
漫才がただ「売れるための手段」になってしまうのは,漫才にとってよくないことです。もちろんそれを「売れるための手段」として使うのかどうかはそれぞれの自由だとは思いますが,「漫才=売れるための手段」となってしまうのは非常に遺憾です。
そんな中,西野さんは同じ記事の中でこのようにも言っています。
毎年30本ほどネタを書いて,6本ほどに絞ります。梶原と口論になることもあります。なかなかの労力と時間を費やした挙句,現状はそれで飯は食えていない。それどころか,昨年から前進している気配すらない。暗中模索。打開作がちっとも見つかりません。ですが,僕,諦めてないのです。ヒーヒー言いながら続けているうちに,「漫才ライブで飯を食う方法」がいつか見つかるんじゃないかなぁと青臭いコトを本気で思っております。……だからシコシコと漫才を作って,ウケてスベって地方を回って,なんとか漫才にヘバリついてて,探すしかありません。
これは,現代漫才師のあるべき姿なのではないでしょうか。
「漫才」の環境が決していいとは言えない今,こういうことをひたすら続けていくことが必要だと強く思います。