おかしみ — 笑わなくてもおもしろい
落語の場合,必ずしも「笑い」を取る必要はありません。見ている人は,「笑わなくてもおもしろい」と感じているからです。
なぜ笑わなくてもおもしろいのか?
それは,「おかしみ」を楽しんでいるからです。「おかしみ(可笑味)」とは,「おかしい感じ, こっけいなおもむき」のことです。
現在の漫才の評価は,「爆笑至上主義」のような,「爆笑」できるかできないかという要素がかなり大きなものとなっています。「爆笑はしなくてもおもしろい漫才」,こういう漫才ももう少し評価されるべきだと思います。
「爆笑」はしなくてもおもしろい漫才とはどんな漫才でしょうか?
そこに「おかしみ」が関係しているわけですが,例えば,2人の会話のやりとりが滑稽で爆笑はしないもののずっと見ていたいと思わせる漫才や,2人の話術そのものを楽しむ漫才などです。
THE MANZAI 2011 のキャッチフレーズは「今 日本で最もおもしろい漫才師を決定する!!」というもの。
おもしろい漫才師 = 爆笑を取れる
おもしろい漫才師 = おかしみ + 漫才師らしさ + 爆笑も取れる
どちらがこの大会の審査基準に近いのかわたしには分かりませんが,後者であってほしいですね。
わたしが思う理想は,「爆笑を取る漫才」と「おかしみを楽しむ漫才」の共存です。「爆笑至上主義」が漫才を駄目にするのではないかという危機感を感じています。
一度「おかしみを楽しむ」ことを覚えたら,癖になりますよ。