一番好きな漫才師は?
わたしが一番好きな漫才師は,「夢路いとし・喜味こいし」のお二人です。二人とももうお亡くなりになられているので,若い方はご存じないかもしれませんが…
最近の漫才とは違い,当時の漫才は全体的に「話の筋があって最後にしっかりオチがつく」というのが主流で,「あの頃の漫才が好き」というのもありますが,その中でも,品があって,おかしみがあって,今でも通用する漫才をされていた「いとこいさん」が,いまだにわたしの中で一番好きな漫才師です。
「いとしさんのあのとぼけた顔」と「こいしさんのやさしい顔」が大好きでした。漫才はもちろん話芸ですが,「顔」も大切だと思います。顔には人柄が出ますから。
演芸やお笑いの中でも,素の自分が一番出るのが漫才だと思うので,漫才師は「いい人」の方がいいと思います。二人のやり取りを見ているだけでほほえましい。
人柄が悪い人の漫才は……
西野亮廣さん,やっと「漫才ビジネス」を始める!?
AbemaTVの「エゴサーチTV」という番組で,キングコングの西野亮廣さんが「漫才作家を蘇らせたい」という話をしておられました。
漫才作家が漫才を書くシステムが好き。昔は漫才をやるときに「作・〜」と作家の名前が出ていた。あれで救われた作家さんもいたと思う。
漫才はできなくても,書くのが好きな方もいる。今のままでは漫才作家を目指す人がいなくなる。書くのが得意な人がちゃんと食べれるシステムを作りたい。
こんな話をしておられました。
それに対し,ゲストのパンクブーブーの佐藤哲夫が「そういうシステム作って。好きでしょ?そういうの」というと,西野さんは 「好きです」「そこちゃんとやりたい」とも言っておられました。
これはわたしがずっと前から思っていたことで,このブログでも「いいかげんにしろ!」を廃止にしたら…という記事で書きました。哲夫さんも,「早く作れ!まだか!」とおっしゃっていましたが,同感です。
西野さんはほかにも多方面でビジネスを成功させていますが,西野さんの根っこは漫才師だとわたしは思っています。そう考えると,その他のビジネスよりもまず先にこれをやっても良かったような気もしますが…
ただ,番組でも言っていましたが,曲などとは違って印税収入という形にするのが難しく,それゆえに台本の販売システムを作るのもなかなか難しいと思います。有名な人が書いたネタだけが高値で売れ,それ以外のほとんどの人のネタは安い値段でしか売れないとすると,書く人はなかなか増えませんし,今の状況とほとんど変わりません。
そこで提案したいのが,「古典漫才システム」です。つまり,同じネタをみんなで共有する古典落語のようなシステム。例えば,台本を売るのではなく,その使用料をもらう,というような。ただ,先日も書きましたが,プロはこれをやりたくないと思う人が多いので,なかなか難しいのかもしれませんが…
課題はいろいろあると思いますが,「高値で売る」「使用料をもらう」などなど,様々な販売方法を選べるようなシステムがあればいいなと思います。
西野さんはすでに本気なのでしょうか?
西野さんは「本気でやりたい」と思ったら本当にやる方なので,西野さんが「本気」なのかどうかがまず知りたいところです。
「古典漫才」を成立させるのはアマチュア漫才師なのかもしれない…
わたしがよく言う「古典漫才」というのは,単なる「昔の漫才」のことではなく,古典落語のように「同じネタをいろいろな方が演じてネタを成長させながら保存する」という素晴らしシステムのことです。
現在の漫才の世界では,ネタを共有するということはめったにありませんし,特にプロの方はこれをあまりやりたがりません。
これまでもいろいろな方に「古典漫才というジャンルを確立したい」というお話をさせていただいたのですが,全般的に,落語家の方の反応はとても良く,漫才師の方の反応はあまり良くない,というかんじでした。プロの漫才師の方の協力を得るのは難しいのかもしれません。「古典漫才は理想だ」と言ってくださった現役漫才師の方もおられましたが,「実際にやるのは難しい」とも言っておられました。
そこで思ったのですが,同じネタをやる人が増えれば増えるほど,その状態が長く続けば続くほど,人々はそれを「古典」と呼ぶようになるわけですから,演じてくださるアマチュア漫才師を探した方がいいのではないかと…
このブログでは,漫才などのフリー台本を多数アップしていますが,これが,漫才を気軽に始めるための一助となり,全国にアマチュア漫才師どんどん増え,結果としてそれが「古典漫才」になればいいのに,と思っています。
この考えに少しでも共感できる方がおられましたら,ご協力よろしくお願いいたします。