藤澤俊輔 「漫才コラム」と「漫才.コント.落語台本集」

漫才作家だけで食べていくために「オチを売るシステム」を模索中。「古典漫才」の普及を目指しフリー台本公開中。時々コントと落語


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西野亮廣さん,やっと「漫才ビジネス」を始める!?

AbemaTVの「エゴサーチTV」という番組で,キングコング西野亮廣さんが「漫才作家を蘇らせたい」という話をしておられました。

漫才作家が漫才を書くシステムが好き。昔は漫才をやるときに「作・〜」と作家の名前が出ていた。あれで救われた作家さんもいたと思う。

漫才はできなくても,書くのが好きな方もいる。今のままでは漫才作家を目指す人がいなくなる。書くのが得意な人がちゃんと食べれるシステムを作りたい。 

こんな話をしておられました。 

 

それに対し,ゲストのパンクブーブー佐藤哲夫が「そういうシステム作って。好きでしょ?そういうの」というと,西野さんは 「好きです」「そこちゃんとやりたい」とも言っておられました。

 

これはわたしがずっと前から思っていたことで,このブログでも「いいかげんにしろ!」を廃止にしたら…という記事で書きました。哲夫さんも,「早く作れ!まだか!」とおっしゃっていましたが,同感です。

西野さんはほかにも多方面でビジネスを成功させていますが,西野さんの根っこは漫才師だとわたしは思っています。そう考えると,その他のビジネスよりもまず先にこれをやっても良かったような気もしますが…

 

ただ,番組でも言っていましたが,曲などとは違って印税収入という形にするのが難しく,それゆえに台本の販売システムを作るのもなかなか難しいと思います。有名な人が書いたネタだけが高値で売れ,それ以外のほとんどの人のネタは安い値段でしか売れないとすると,書く人はなかなか増えませんし,今の状況とほとんど変わりません。

そこで提案したいのが,「古典漫才システム」です。つまり,同じネタをみんなで共有する古典落語のようなシステム。例えば,台本を売るのではなく,その使用料をもらう,というような。ただ,先日も書きましたが,プロはこれをやりたくないと思う人が多いので,なかなか難しいのかもしれませんが…

課題はいろいろあると思いますが,「高値で売る」「使用料をもらう」などなど,様々な販売方法を選べるようなシステムがあればいいなと思います。

 

西野さんはすでに本気なのでしょうか?

西野さんは「本気でやりたい」と思ったら本当にやる方なので,西野さんが「本気」なのかどうかがまず知りたいところです。

 

「古典漫才」を成立させるのはアマチュア漫才師なのかもしれない…

わたしがよく言う「古典漫才」というのは,単なる「昔の漫才」のことではなく,古典落語のように「同じネタをいろいろな方が演じてネタを成長させながら保存する」という素晴らしシステムのことです。

現在の漫才の世界では,ネタを共有するということはめったにありませんし,特にプロの方はこれをあまりやりたがりません。  

これまでもいろいろな方に「古典漫才というジャンルを確立したい」というお話をさせていただいたのですが,全般的に,落語家の方の反応はとても良く,漫才師の方の反応はあまり良くない,というかんじでした。プロの漫才師の方の協力を得るのは難しいのかもしれません。「古典漫才は理想だ」と言ってくださった現役漫才師の方もおられましたが,「実際にやるのは難しい」とも言っておられました。

 

そこで思ったのですが,同じネタをやる人が増えれば増えるほど,その状態が長く続けば続くほど,人々はそれを「古典」と呼ぶようになるわけですから,演じてくださるアマチュア漫才師を探した方がいいのではないかと…

 

このブログでは,漫才などのフリー台本を多数アップしていますが,これが,漫才を気軽に始めるための一助となり,全国にアマチュア漫才師どんどん増え,結果としてそれが「古典漫才」になればいいのに,と思っています。

この考えに少しでも共感できる方がおられましたら,ご協力よろしくお願いいたします。

  

ボクの妻と結婚してください。

「こういうときふつうはサッカーを見るんだろうな…」と思いながら,普段ほとんど見ることのない映画を見ました。

サッカーは大好きで,フットサルなら自分でもやるし,ワールドカップもNHKの素晴らしいアプリの「戦術カメラ」を使い,念願の縦画面で見ています。サッカーは選手と同じ縦目線で見るのが主流になればいいのに…

ヨーロッパのチーム(特にフランスとイングランド)が好きなので,日本代表の試合は通常見たり見なかったり。まさか勝つなんて思わなかったし…

 

もしかしたらサッカーよりも好きかもしれないのが,織田裕二さん。最近はドラマ出演も少ないので,どうしても見たかったのが「ボクの妻と結婚してください。」。織田さんは笑顔がいいですね。映画の中でも「あの人懐っこい笑顔が…」というセリフがあったと思いますが,「まさにそれ!」って思いました。

今回織田さんが演じていたのは,「余命半年」と宣告された放送作家。残されることになる家族のために結婚相手を探すという「最後の企画」を実行するというお話。

「死」を「テレビ的な企画」という感覚で描いていることに批判的な反応もかなりありますし,「身勝手すぎる」という意見もあります。確かに身勝手な行動ではありますが,それを成立させているのが,主人公の「まじめさ」「真剣さ」「本気度」だと思います。おかしなやり方ではあっても,妻や子どものことを本気で考え,本気で愛し,まじめに生きている。それが伝わるから,周りの人は理解を示してくれたのではなかと…

漫才も,「まじめさ」「真剣さ」「本気度」が大切だと思います。ふざけていたり,世の中をなめていたり,見下したりするような気持ちがあると,あまりいい「笑い」は生まれません。

 

映画の中で,放送作家は「世の中の出来事を『楽しい』に変換する仕事」と言っていたと思います。「なんでも笑いに換えればいい」とは思いませんし,「泣きながら生きる」ことも大切だと思います。でも,物事の否定的な部分だけを見てしまう傾向はだれにでもあるので,違う角度から見て「変換する」という表現はすごくいいなと思いました。

それと,主人公が「なんでガンになってしまったのか」を自分で考えているシーンで,「何をすれば良かったんだろう。何をしなければ良かったんだろう」とノートに書きながら泣いていたのが,わたしの中では一番印象的でした。これが…ほんとにそのときは分からないんですよね…後にならないと…

 

今,何をすればいいんだろう…,何をしないほうがいいだろう…

 

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